LOVE☆大阪医大
「先生は大阪医大ご出身なんですね〜」と患者様からよくお声かけ頂きます。奈良市民にとっては南部の奈良県立医大よりも、高槻市にある大阪医大の方がポピュラーだったりするのは、奈良市内では多くの大阪医大OBの先生方がご開業されていたり、大阪医大の教授陣が奈良市内から通勤されていたり…と昔から馴染みがある為のようです。
もしかするとこのブログをお読みの皆様方のお子様で今年大阪医大の受験を控えておられるお母様もおられるやもしれません。私自身入学式会場で当時の学長先生から「医者になったら何よりも体力勝負やから、新入生諸君は6年間の間に必ず何かクラブ活動をしなさい!」と言われたのを記憶しております。「え、医学を勉強しなさいじゃなくてスポーツしなさいって!?」本当に不思議に感じました。しかしこれは私の勘違いで、正しくは医学もクラブも両方がんばりなさいって意味だったようです。おかげで勘違いしたまま6年間毎日クラブ活動に勤しみ、成績は低空飛行で何とか進級して国家試験にこぎつけたというのが実際の所でしょうか。後輩の皆様方は決して勘違いなさらないように!(笑)
赤ちゃんの頃やけどをしてずっと形成外科医を志してきた私、関西で形成外科といえば最も歴史があるのは京大か大阪医大で、そのどちらかに何とか合格したかったのです。(残念ながら現在も奈良県立医大と和歌山県立医大は形成外科という独立した専門講座や診療科は存在しません、つまり教授がいない!ということです。)実は理数系が超苦手だった私、形成外科が医学部じゃなければよいのに…とか悩みつつも無事宝くじ合格(←それくらい信じられなかったんです)を果たしました
私立の医科大学でありながらも自主性を重んじる自由な学風だったので、智辯学園の温室育ちとは異なり色々カルチャーショックを受けたこともありました。昨年大阪医大女医会に参加させて頂いた際、(関西女子医専だった関西医大とは異なり)大阪医大は元々女子医学生がいなかった為、昔は女子トイレがなかったのよ、だから私達が作って欲しいと要望を出したのよ!と私達の大先輩around70世代からお聞きしてびっくりしました。
私自身決して優等生でもありませんでしたが、諸先生方をはじめ同級生やクラブの先輩後輩など本当に人に恵まれた6年間で、卒業して17年となる今も母校には日々感謝しております。